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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)6554号 判決 1975年3月19日

原告

宮田重光

外一名

右両名訴訟代理人

保持清

被告

財団法人厚生団

右代表者

大宰博邦

外一名

右両名訴訟代理人

饗庭忠男

外一名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告ら(請求の趣旨)

1  被告らは連帯して、原告ら各自に対し金五〇〇万円およびそれに対する昭和四七年五月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二、被告ら(請求の趣旨に対する答弁)

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一、原告ら(請求原因)

1  分娩までの事実経過

(一) 原告らは夫婦であるところ、原告宮田タダ子(以下、「原告タダ子」という。)は、昭和四六年九月頃妊娠を自覚した。そこで同年一一月二六日、被告財団法人厚生団(以下、「被告厚生団」という。)の経営する厚生年金病院において診療を受け、昭和四七年四月二〇日頃が出産予定日であるとの診断を受けたので、ベッドの予約をするとともに母子手帳の交付を受けた。

(二) 右診察の際、原告タダ子は、妊娠九か月までは毎週一回、妊娠九か月から一〇か月までは二週間に一回、それ以後は毎週一回の割合で検査を受けるようにと指示されたので、それを守り、自ら母親学校、無痛分娩講習会にも参加して母体の健康と安全について万全の注意を払い、子宮底、腹囲、血圧、浮腫、蛋白、児心音、胎位の諸検査、体重の測定を受け、昭和四七年四月頃までは胎児は順調に成育していた。

(三) ところが分娩予定日である同年四月二〇日を過ぎても出産の徴候が現われなかつたが、前記病院からは同年五月一一日に浮腫の薬を与えられたほかは、何らの指示もなされなかつた。

(四) 同年五月一七日、原告タダ子は出血と陣痛を催したので同日午後一一時四五分頃右病院に入院し、分娩予備室で待機していたが、児心音が弱いので同月一八日朝方近く酸素吸入をさせられた。

同日午前七時頃、原告タダ子は出血し、子宮口が開いたので分娩室に入り、担当医師である被告中井利昭(以下、「被告中井」という。)が立会つたが、立会いの助産婦が児心音が聞きづらいと告げたにも拘わらず、被告中井は大丈夫と言つて同じ分娩室に入室していた他の産婦のもとにかかりきりになり、原告タダ子を放置した。

しかしその直後助産婦らが「やはり児心音が弱い。」と被告中井を呼んだので、被告中井は「こつちの方が先だつたかな。」と言いながら、午前八時三〇分頃、産道を切開し、胎児を取り出したところ死産であつた。死亡証明書には死産の原因として、無酸素症・臍帯卵膜付着と記載されていた。

2  被告中井の過失

(一) 原告タダ子の分娩予定日は同年四月二〇日であつたが、四週間遅れた五月一八日に分娩したのである。分娩予定日なるものは受胎日が確定困難なところから若干の誤差はありうるが、原告タダ子の場合、妊娠五か月には通常の妊娠経過をたどり、母体子宮は人頭大に発育しており、胎動自覚や児心音などの発育進度も正常であつたのであるから、五月一八日に分娩したのは出産遅延である。

(二) 原告タダ子が五月一八日に分娩を開始した前後の児心音の状況は次のとおりであつた。(児心音は五秒ごとに三回に分けて示す。)

午前一時から午前四時頃まで 一一―一一―一一

午前五時頃 八―八―八

同六時頃  八―九―一〇

同七時頃  児心音不規則

同八時頃  一〇―一一―一〇 微弱

同八時二〇分頃 聴取できず。

児心音は成人の脈搏と同様、胎児の健康状態を知るほとんど唯一の手段であり、正常な児心音は一一―一一―一一を示すところ、原告タダ子の場合、午前四時頃までは正常な状態であつたが、午前五時過ぎから異常な児心音を示している。

(三) 前記(一)、(二)の事実によれば、被告中井は医師として当然に出産遅延の病理的原因すなわち胎盤の不全等の事態に想到し、胎盤不全徴候を確認したならば、多くの場合(一〇パーセントないし一五パーセントの場合)は帝王切開をしなければならないのであるから、該措置をとつて死産の結果を防止すべき注意義務があつた。また分娩前午前五時頃から児心音の異常がみられたのであるから、胎児の酸素供給状態の異常および子宮内出血や胎内呼吸などの事態が予想でき、この点からも帝王切開の措置をとるべき注意義務が存した。

(四) しかるに被告中井は右の注意義務に違反し、帝王切開をなす必要性を看過したまま、いたずらに原告タダ子を放置して死産の結果を招来したから、右は被告中井の過失というべきである。

(五) 被告中井は、被告厚生団にアルバイトとして使用されていたものであり、被告中井の前記行為は被告厚生団の事業の執行につきなされたものである。

3  原告らの損害

原告両名は、昭和四四年頃結婚し、本件の子供が最初の子供であり、原告両名はもとより原告らの親や親戚の喜びと期待も大きく、原告タダ子は出産に備えて万全の準備をし、医師の指示に従うばかりでなく、積極的に講習なども受けていたものである。従つて、本件死産による精神的衝撃と失望は著しく、子供を失つたことと全く変らないものであつた。その精神的苦痛を金銭に見つもると原告ら各自金五〇〇万円の損害と評価するのが相当である。

4  よつて原告らは被告厚生団に対しては民法第七〇九条および第七一五条第一項により、被告中井に対しては同法第七〇九条により各自金五〇〇万円と右不法行為の日の翌日である昭和四七年五月一九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告ら(請求原因に対する認否および反論)

1  1、(一)の事実中、原告タダ子が昭和四六年九月頃妊娠を自覚した事実は不知。その余の事実は認める。

2  同(二)の事実中、原告タダ子が母親学級、無痛分娩講習会に参加して母体の健康と安全の注意を払つたことは不知。その余の事実は認める。

3  同(三)の事実中、四月二〇日を過ぎても出産の徴候がなかつたことおよび五月一一日に浮腫の薬を与えたことは認め、その余の事実は否認する。

4  同(四)の事実中、原告ら主張の日時に原告タダ子が出血と陣痛を催したので入院したことおよび原告タダ子が分娩予備室で待機し、児心音が弱いため酸素吸入をさせられたこと、原告タダ子が出血し、子宮口が開いたので分娩室に入り、被告中井が立会つた事実は認め、その余の事実は否認する。

5  2(一)の事実中、当初の分娩予定日が同年四月二〇日であつたことおよび分娩日は認めるが、その余の事実は否認する。

原告タダ子の月経周期はきわめて不規則であり、最長は五〇日間の周期であつたから、それを基礎として計算すると出産予定日は昭和四七年五月一二日となり、その前後二週間の範囲内が正常分娩の範囲である。同年四月二七日には厚生年金病院の訴外松山医師が胎動の時期を確認したところ、原告タダ子の記憶に誤りがあつたので、再度予定日を算定して右の五月一二日頃としたのである。従つて本件は出産遅延ではない。

6  同(二)の事実は認める。

7  同(三)の事実中、分娩前児心音が弱かつたことは認めるが、その余の事実は争う。

(一) 前記のとおり分娩予定日を再度算定したので、出産遅延ではないうえ、胎盤の不全等の事実はないものと判断したのであり、被告中井に原告ら主張のような注意義務はない。

(二) 分娩後午前九時六分に胎盤を娩出したところ、臍帯が胎盤に付着せず卵膜に付着していた。卵膜に走行している臍帯血管は完全に露出しており、一部は破綻していた。このような臍帯の付着異常は約〇、四パーセントないし一、二パーセントの頻度で生ずるものである。

(三) 右の臍帯の卵膜付着の発見は破水前には困難であり(本件の破水は午前五時半)、破水後の持続的な出血、児心音の急速な微弱化により、その可能性を推測できるが、確定的に判明するのは胎盤を娩出した後である。

(四) 臍帯の卵膜付着の場合分娩時には、破水すると卵膜の破綻によつて臍帯血管の一部が破れて胎児の出血死を招いたり、先進した児頭による血管圧迫によつて胎児の仮死を招くことがあるが、正常な分娩も可能なのである。従つて、児心音の異常の徴候から直ちに臍帯の卵膜付着を予見し、帝王切開の措置をとるべき注意義務が生じると考えることはできない。

(五) 本件の場合、破水後児心音を聴取しにくくなつたので、酸素吸入を行なつて経過を観察したところ、極端な児心音の増減はなく、分娩が進行していたが、途中、突然児心音が消失したものであり、直ちに会陰切開して胎児を娩出したが、すでに産道内において死亡していたものである。

(六) 本件分娩に際して、右卵膜付着を発見していたとしたならば、対応する措置として一応帝王切開や鉗子分娩術が考えられるが、卵膜に付着している脆弱な血管を破損しないように行なうことは難しく、必ずしも生児が得られるとは限らないものである。

(七) 以上により本件死産は不可抗力に近く、被告中井に帝王切開の措置をとるべき注意義務があると考えることはできない。

8  同(四)の主張は争う。

9  同(五)の事実は認める。

10  3、4の主張は争う。

第三  証拠<略>

理由

第一分娩までの事実経過

一妊娠および受診

原告らが夫婦であること、原告タダ子が妊娠し、昭和四六年一一月二六日、被告厚生団の経営する厚生年金病院(以下、「被告病院」という。)で診察を受け、同四七年四月二〇日頃が出産予定日であると診断され、ベッドの予約をするとともに母子手帳の交付を受けたこと、右診察の際、原告タダ子は、妊娠九か月までは毎週一回、妊娠九か月から一〇か月までは二週間に一回、それ以降は毎週一回の割合で検査を受けるよう指示され、これを守り、子宮底、腹囲、血圧、浮腫、蛋白、児心音、胎位の諸検査、体重の測定を受け、昭和四七年四月頃までは胎児の成育は順調であつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告タダ子は母親学級、無痛分娩講習会にも参加し、母体の健康と安全について万全の注意を払つたことが認められる。

二分娩予定日とその修正

ところが、分娩予定日の昭和四七年四月二〇日を経過しても出産の徴候がなかつたことは当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

被告病院の訴外原医師は原告タダ子の最終月経が昭和四六年七月一三日から同月一五日までであつたことから、ネーゲレの計算法(最終月経の第一日の属する月の数から三を減じ、右第一日の数に七を加えて、出産予定日を算出する方法)によつて出産予定日を昭和四七年四月二〇日と診断したのであるが、右予定日を経過しても出産の徴候がなかつた。昭和四七年四月二七日被告病院産婦人科部長訴外松山栄吉医師が再度原告タダ子に胎動自覚を尋ねたところ、受診当初昭和四六年一一月一五日頃と述べたのは原告タダ子の記憶違いであつて、同四六年一二月一〇日頃に胎動自覚があつたとのことであつたとのことであつたので、出産予定日を胎動自覚の時を基準に算定する方法(初産の場合には胎動自覚の日に二〇週を加える。)に従い、初産婦たる原告タダ子について昭和四六年一二月一〇日を基礎に計算し直し予定日は昭和四七年四月二九日と修正された。なお、原告タダ子の月経周期が二六日から五〇日と不規則であつたため、最長期の五〇日を基礎にすると、五〇日と二八日(規則的月経周期)との較差二二日を当初予定日に加算して、予定日は同四七年五月一一日となる可能性があつた。

三分娩

1  <証拠>によれば、原告は修正された予定日である昭和四七年四月二九日にも分娩の徴候なく、五月四日、一一日、一六日と三回被告病院で診察を受けたが、一一日、一六日の時点で浮腫の徴候が看取された(これに対しては一一日に利尿剤ハイグロトンが投与された。同日浮腫の薬が与えられたことは当事者間に争いがない。)ほか、胎児および母体とも異常がなく、一一日には分娩を促進する目的で産道を滑らかにするエストリールが投与され、一六日には「来週入院の用意をしてくること」が指示されたことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

2  五月一七日原告タダ子は出血と陣痛を催したので、同夜一一時四五分頃前記病院に入院し、分娩予備室で待機していたこと、原告タダ子が出血し、子宮口が開いたので分娩室に入つたことは当事者間に争いがない。そして、<証拠>に右争いのない事実を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告タダ子入院後である五月一八日午前零時一〇分頃から直ちに看護婦による問診と諸計測が行なわれた。児心音(胎児の心音をいう。数値は連続する五秒毎の心音数で示す。本件の児心音の聴取は、すべてクラウベの桿状聴診器で聴取したものである。)は一一―一一―一一、陣痛発作は二五秒間で間欠五分、出血はなく、児母共に良好な状態であつた。そして、零時四〇分頃から当直の助産婦訴外木島千寿子が介助に当つたが、午前二時三〇分には児心音は一一―一一―一二、陣痛発作三〇秒、間欠四分、同四時には児心音一一―一一―一一、陣痛発作三〇秒、間欠四分と、良好な分娩経過をたどつていた。(午前一時から午前四時頃までは児心音は一一―一一―一一であつたことは当事者間に争いがない。但し、右は概括的主張とこれに符合する相手方の陳述である。)。そこで、右木島は陣痛も進んできたので、母体に石浣腸を施すなどして娩出に備えた。午前五時三〇分までの間に、羊水および出血がそれぞれ少量あつたが、羊水に混濁はなく、分娩の経過は良好と判断された。

ところが、同五時三〇分頃児心音が八―八―八と落ちたので(午前五時頃児心音が八―八―八であつたことは当事者間に争いがない。但し、右の時刻はおよその時刻を示すものと理解すべきである。)、木島は直ちに原告タダ子に対し酸素吸入を行うと共に(児心音が弱いため酸素吸入をしたことは当事者間に争いがない。)、当直医師の被告中井(同被告は東京大学医学部産婦人科の医局に所属する文部教官であるが、昭和四六年初頃から一週二回程度被告病院の産婦人科に就労していた。)を呼び、被告中井自ら児心音を聴取した結果、そのまま酸素吸入を続けるように指示した。その後、出血は少量あつたが、午前六時、児心音は八―九―一〇と回復し(午前六時頃児心音が八―九―一〇であつたことは当事者間に争いがない。)、正常な状態にあると判断された。陣痛発作は三〇秒、間欠三ないし四分であつた。午前六時三〇分には児心音は八―一〇―一一となり、聴取困難な感じもしたが、木島は一一という数値で安心し、陣痛発作は従前と同様であつた。

そして、午前七時頃木島が内診したところ、子宮口が全開大となつていたので娩出が近いと考え、原告タダ子を第一分娩室に移動し、外洗、導尿を施し娩出を待つた。この頃児心音は七から一二と不規則であつたので(午前七時頃児心音が不規則であつたことは当事者間に争いがない。)、午前七時半頃、被告中井を呼び、被告中井は自ら児心音を聴取したところ、八ないし九の値を示したので、従前同様、酸素吸入を続けるようにとの指示をなした。午前八時頃木島が児心音を聞いたところ、微弱で、聴取が困難であつたが、一〇―一一―一〇であつたので(午前八時頃児心音が一〇―一一―一〇であつたこと、微弱であつたことは当事者間に争いがない。)、木島は保育器、蘇生器、鉗子、点滴の用意等娩出の準備をした。原告タダ子は陣痛発作は二五ないし三〇秒、間欠二ないし三分で努責、出血もあつたので、木島は娩出が切迫していると判断し、午前八時五分頃、交替の助産婦訴外椎名清美に、部屋二つ隔てた看護婦詰め所で、原告タダ子につき、児心音は微弱ではあるが、間もなく分娩になるのですぐ行くようにとの引継ぎを終えた。当時、隣室の第二分娩室にも産婦が一人入室していたが(午前六時頃入室)、経産婦であつたので、木島は重点的に初産の原告タダ子に付添つていた。

引継ぎを受けた椎名は直ちに第一分娩室に行き、分娩の準備が整つているかを確認したうえ、分娩台の原告タダ子から児心音を聴取しようとしたが、聞きとれなかつたので、すぐに助産婦の訴外鈴木某を呼んで確かめてもらつたところ、やはり聴取できなかつた。聴取できないとの最終的判断までに一〇分から一五分位を要した(午前八時二〇分頃児心音が聴取できなかつたことは当事者間に争いがない。)そこで、急いで被告中井を呼んだところ、同被告にも児心音を聴取することができず、胎内死亡を確認したが、児頭は排臨していたので、被告中井は会陰を切開して分娩を進行させ、午前八時三六分死亡していた胎児を取り出した。(被告中井が娩出に立会つたことは当事者間に争いがない)。椎名が分娩室に入つてから右娩出を終了するまでの所用時間はおよそ二、三〇分間であつた。同九時六分胎盤が娩出された。被告中井は当直時間を過ぎていたので、診療録(乙第一号証)の内診所見を認め、松山医師に報告して同八時四五分頃分娩室を離れており、後産には立会わず、これに立会つたのは松山医師および受持医である訴外井上毅医師であつた。

このように認められ、原告宮田タダ子本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は前掲各証拠に照し措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によると、五月一八日午前四時から五時三〇分頃までの間に羊水の流出があつたが、子宮口全開大となつたのは午前七時頃であるから、開口期たる分娩第一期は午前七時頃までであるとみるべく、右時刻から分娩第二期(娩出期)に入り、胎児は骨盤腔の中にある軟産道を、骨盤底筋肉と骨盤壁の抵抗を排しつつ進出することとなつたものと認められる。

第二胎児死亡の原因

<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

本件胎児の臍帯は原告タダ子の胎盤に直結せず、卵膜に付着していた。

一般に臍帯の卵膜付着とは、臍帯が直接胎盤に付着しないで、胎盤を離れた卵膜に付着し、臍帯血管が露出したまま羊膜と織毛膜との間を走つて、辺縁部から胎盤に進入する状態をいい、(この臍帯血管が卵膜の下位すなわち子官口を被う部分を走行するとき、これを前置血管という。)脆弱な臍帯血管が裸出しているため、破水の際血管の断裂を伴い易く、これにより出血して胎児の失血死を招くことがある(殊に前置血管の場合)。また児頭の骨盤腔内進入と共に血管の圧迫、損傷を伴い易く、胎児に危険が起り易い。臍帯の卵膜付着発生の頻度は0.4ないし1.2パーセント、0.5パーセントあるいは0.8パーセントとさまざまに報告されている。

本件の場合、児頭の骨盤腔内進入に伴い臍帯血管が卵膜に付着する部位において屈曲されて臍循環(胎盤循環)不全を来し、かつ分娩直前裸出した血管の一部が破綻し(但し、大出血なし。)、胎児に対する酸素供給が断たれて死亡した可能性がきわめて濃厚である。

以上の認定を左右するに足る証拠はない。

第三被告中井の責任の有無

一出産遅延を前提とする過失の主張について。

前記第一の二認定の事実によれば、原告タダ子の出産予定日は当初は昭和四七年四月二〇日と診断されたが、被告病院において再度計算し直し、同年四月二九日と修正されたが、原告タダ子の月経周期が不規則であつたため、このことを考慮すると昭和四七年五月一一日となる可能性があつた。そして、<証拠>によれば、予定日の前後二週間の分娩であれば、正常分娩とされており、本件の胎児は女児で、体重二、八四九グラム、過熱児徴候はなかつたことが認められるから、本件出産を目して出産遅延であるということはできず、右を前提とする原告らの過失の主張は、その余の点について判断するまでもなく失当である。

二帝王切開の措置をとらなかつた過失の主張について。

1  <証拠>を総合すれば、臍帯の卵膜付着を妊娠中に予見することは不可能であり、分娩進行中破水時に臍帯血管の一部が断裂して持続性の出血が起り、児心音が急速に微弱頻数となることによつて右症状を予見することは可能であること、破水前には内診により偶然に前置血管の搏動に触れて発見することができるにすぎないこと、破水前に発見した場合であれば、帝王切開あるいは臍帯血管を損傷しないよう破膜をして急速遂娩の方法を講じ、破水時に血管の断裂を生じ出血をみるときは、要約が存在すれば、鉗子手術、廻転牽出術等急速遂娩の方法を講じ、あるいは帝王切開を行い、生児を得ることができるが、卵膜付着であつても胎児が死亡することなく無事娩出を終了することもあることを認めることができる。鑑定証人安井修平は破水前に臍帯の卵膜付着を発見できないとするが、この点については、偶然的ではあるが発見できるとする証人松山栄吉の証言を採用する(その場合の対症処置の説明が納得できるから)。他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2  本件において原告タダ子の破水前に被告中井が前置血管の搏動に触れていたとすれば、臍帯の卵膜付着を発見し、帝王切開あるいは急速遂娩の方法を講ずることができたであろう。しかし、本件胎児の臍帯血管が卵膜の下極を走行していたものであるかどうか明らかでないのみならず、仮に当該部分を走行していたとしても、その搏動に触れるのは全く偶然のことであること前述のとおりである。従つて、被告中井が内診によつて博動を突き止めて臍帯の卵膜付着を発見し、前述の相応の措置をとらなかつたからといつてこれを過失ということはできない。

3  また、原告タダ子の分娩状況に関する前記第一の三認定事実に徴すると、原告タダ子の破水時に臍帯血管の一部が断裂して時続性の出血が起つた形跡は全く窺えない。のみならず、羊水流出後である午前五時三〇分頃、それまで一一―一一―一一(もしくは一二)であつた児心音に変化を生じ、午前五時三〇分頃八―八―八、午前六時八―九―一〇、午前六時三〇分八―一〇―一一の数値を示しているが、鑑定証人安井修平の証言によると、右児心音を全体的に評価すれば、午前五時三〇分頃従前に比し一時悪化した児心音が漸次回復に向つたものであることが認められる。叙上のとおり、原告タダ子について持続性の出血が認められず、また児心音が一時的に悪化したにせよ、漸次回復に向つた以上、この時期(開口期)において被告中井が臍帯の卵膜付着に想到せず、従つて帝王切開の措置をとらなかつたことをもつて過失であるとすることはできない。

原告らは、午前五時頃(それがおよその時刻をいう趣旨と理解すべきことは前述した。正しくは午前五時三〇分頃を指すものと解すべきである。)から児心音の異常がみられたのであるから、胎児の酸素供給状態の異常および子宮内出血や胎内呼吸などの事態が予想でき、この点から被告中井に帝王切開の措置をとるべき注意義務が存したと考えるのが相当であると主張するが、本件において、原告のいう子宮内出血や胎内呼吸の事態が客観的に存在したことを認めうる証拠は全くないから、該事態を予想すべきであつたとする原告らの主張は事実に添わないものであつて、採用するに由ない。また、児心音の一時的悪化が胎児に対する酸素供給状態の異常を示すこと自体は首肯しうるとしても、証人松山栄吉、鑑定証人安井修平の各証言によれば、それはさまざまの原因、即ち本件のような臍帯の卵膜付着のほか、臍帯の結節・巻絡・過短、胎児の奇型・過大などに基因し、それらのすべてが直ちに胎児の死亡につながるものではないことが認められるのであり、しかも、本件においては、児心音が悪化の一途を辿つたのではなく、むしろ漸次回復したのであるし、他方、右各証言によれば、帝王切開術には、これを行うべき要約と適応があるのであつて、近時要約が緩和され、適応が拡大されつつあるとはいえ、児心音に関していえば、それが遂次低下していつて回復しない場合にはじめて帝王切開術が行われるものであることが認められるから、被告中井が児心音の一時的悪化から胎児に対する酸素供給状態の異常を看取したとしても(被告中井利昭本人尋問の結果によれば、同被告は臍帯巻絡を想定したことが認められる。)、直ちに帝王切開の措置をとらなければならないものではない。原告らの主張はこの点においても失当とすべきである。

4(一)  本件は子宮口全開大後、児頭の骨盤腔進入に伴い臍帯血管が屈曲し、かつ分娩直前に血管の一部が破綻し(但し、大出血なし。)、胎児に対する酸素供給が断たれて死亡した症例である。そして、午前七時頃児心音が七から一一と不規則であつたのは右酸素供給の断絶に至る過程に起きた徴候であると推認されるのであるが、右児心音の報告に基づき被告中井が自ら児心音を聴取したところ八ないし九の値を示し、更に午前八時頃の児心音は一〇―一一―一〇であつたこと前認定のとおりであり、鑑定証人安井修平の証言によれば、右児心音の変化は一時的悪化とその回復と評価しうるのであるから、被告中井が右児心音の変化から臍帯の卵膜付着に想到し帝王切開の措置をとるべきであつたとすることははなはだ無理であるとしなければならない。

(二)  午前八時頃の児心音は微弱で聴取が困難であつたこと前認定のとおりであるが、被告中井利昭本人尋問の結果によれば、児心音は胎児の心臓の位置によつて聴取が困難となることが間々あり、微弱であることはそれ自体病変を意味するものではないことが認められるから、児心音の微弱であつたことは前記の判断を動かすものではないとすべきである。

(三)  ところが、午前八時五分過頃から同二〇分頃までの間、椎名、鈴木両助産婦が児心音を聴取しようと継続的に試み、その場に呼ばれた被告中井も聴取しようとしたが、遂に児心音を聴取できないという事態が発生した。前述の胎児に対する酸素供給の断絶は右の時間帯に発生したとみるほかない。しかし、ここに至るまでの間被告中井が臍帯の卵膜付着を発見し、ないしこれに想到し、もつて臍帯の卵膜付着に基因する胎児の死亡を未然に防止する医療措置をとるべきであつたとはいえないこと上来縷述したとおりである以上、右胎児の死亡はもはや避け難いところであつたといわなければならない。

5  これを要するに、被告中井に過失があつたとする原告らの主張は失当とするほかなく、同被告に不法行為責任はない。

第三被告厚生団の責任の有無

被告中井について不法行為の要件を肯認しえない以上、被告厚生団に対し民法第七一五条所定の損害賠償の支払を求める原告らの請求は理由がないこと明らかである。原告らは、被告厚生団につき民法第七〇九条に基づきその不法行為の責任を問うが、被告厚生団のような法人が不法行為の責任を負うのは、その代表者たる機関が不法行為をなした場合(民法第四四条)または被用者が該法人の事業の執行について不法行為をなした場合(同法第七一五条)であるから、原告らの右請求は主張自体失当である。

第四結論

以上の次第であつて原告らの請求は何れも失当であり、棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(蕪山厳 中田昭孝 川上拓一)

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